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ブルーグラスTOKYO
http://www.glasscom.com/bgtokyo/
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ブルーグラスTOKYOとは

ブルーグラスTOKYO物語(第0話:誕生前夜)

 1990年代中期,インターネットブームが日本列島に襲い掛かっていた。それは,ハイテクとは縁の薄いブルーグラス界にも影響を与えていた。「x月x日に出演依頼が来たけど皆大丈夫か?」「急用でxx日のライブに行けないんだけど,誰か代わりはいないかぁ~」。それまで電話でやり取りしていた内容がメールで飛び交うようになったのだ。
 最初のメールは,相互エキストラ条約を交わしたブルーグラス鉄カブト,One&Only,Keep On The Grassのメンバを中心にしたものだったが,次第に,バンドを超えて広がっていった。法政大学OB会,東京理科大学OB会,土浦方面の仲間達,さらには秋田方面がその輪にとりこまれていった。

ブルーグラスTOKYO物語(第1話:誕生)

 1997年秋,webmaster水吉が自宅をインターネットに接続した。ブルーグラスのページを作るのは当然の成り行きだろう。インターネットブームのおかげでブルーグラス界にも電脳化された仲間が増えている。これはやるっきゃない。それなら,まずは名前だ。
 そして,GlassComという安直な名前に続いて,またもや安直な名前を考えた。それがブルーグラスTOKYOである。鉄カブト,One&Only,Keep On The Grassの三つでTOKだから,そこにYとOをつければTOKYOだぁー。

ブルーグラスTOKYO物語(第2話:パパラッチレポート)

 1998年夏,One&Onlyの金森がパソコンとデジカメを購入した。「○○を買おうと思うんだけど」「あれは,□□で△△だから,こっちの方がいいョ」「その△△っていうのは何のこと?」「△△ってのは○△□×△☆!っていうことだよ」「何それ???わかんないからこれでいい!!」ってな具合にスッタモンダした挙句のことだった。しかし,それがブルーグラスTOKYOに転機をもたらした。そう,あの「嵐の箱根ブルーグラスフェス」を撮影したパパラッチレポートの始まりである。

ブルーグラスTOKYO物語(第3話:BGWW

 パパラッチはもう一つの秘策を暖めていた。Wally森下が思いつきで口走ったWho's Who構想を実現しようとしていたのである。日本のブルーグラス界の全員を顔写真入りで登録しようという,とてつもない構想である。だが,パパラッチは果敢にもその構想にチャレンジした。webmaster水吉もそれを後押しすることにした。ブルーグラスTOKYOの仲間も皆応援してくれている。
 そして,1999年9月。開始後約1年にして登録人数は500名を突破した。これは大成功というものだろう。次は1000人だ。がんばれパパラッチ。

ブルーグラスTOKYO物語(第4話:BGWWパワーアップ)

 2000年の暮れ近く,webmaster水吉が自宅のサーバをWindows NTからLinuxに移行した。当然のことだが,ブルーグラスTOKYOもLinuxに引越した。でも,ただ引越すだけではつまらないから,Windows NTじゃできなかったことをやろう。ということで,BGWWをパワーアップした。一つは,登録したい人が自分で登録できるようにしたこと。これでパパラッチ金森の出現を待たずに自分で登録できる。写真の差し替えだってできる。所属バンドも登録/検索できるようになった。BGWW登録者に伝言を送るサービスもできた。しかし,サーバがパワーアップしても,誰も登録しなかったら意味がない。だから,皆,登録してくれー!